インタビュー記事
2024/02/20
読んでいると、作者の声が聴こえてくる。
発売直後からそんな話題を呼んでいるのが、星空のビジュアルガイド『地球が廻っているということ』。
作者の丹羽隆裕さんは、天文学者で、青森県の高等専門学校で物理学の教鞭をとっています。
『地球が廻っているということ』より
「学校の授業で“天文アレルギー”になってしまった人たちに、ただ空を見上げて星が綺麗だな、と思うだけでいいじゃないか、と伝えたいんです。」
先生になったのも、カメラで星空を撮りはじめたのも、本を出版したのも、そうした想いからだったと言います。
そんな丹羽さんに、星空への想いや、第6回写真出版賞の受賞から出版までの道のりを語ってもらいました。
天文学者/写真家 丹羽隆裕さん
― 新学期ということもあり、先生の仕事がお忙しいと聞きました。現在はどのような生活や活動をしていますか?
本州の最北端、青森県の八戸市にある高専で物理の教師をしています。担任を持って40人ほどの学生を相手にしているので、やはり仕事がメインの日々を送っています。
昨年11月に本を出版してから、制作は一段落しているところです。そもそも冬は天候の問題でなかなか写真を撮りに行くのが難しいので、今は家にこもって研究中という感じです。
― 丹羽さんは、数百枚の連続写真を撮影して後から合成する「比較明合成」という手法で星の光跡を撮影していますね。たしかに寒い時期の撮影は大変そうですね。
そうですね。撮影場所に着いて1時間ほど準備をして、2時間かけて固定カメラで400枚ほど写真を撮るという方法なので。パソコンで合成する時間も含めると、1枚をつくるのに4、5時間かかります。好きでやっているので、ふだんは時間を忘れているのですが。
― たった2時間で、こんなに星が動くんですね。
はい、本当は地上が動いているんですけれども。星の線を1本見ていただくと、始点から終点までが、地球が動いた軌道なんです。たった2時間でも、そのぶんだけ地球は廻っているんですよね。ふだんはなかなか実感できないですが、空にちゃんと、地球が動いている証拠があるんです。自分たちが感じられないことを、星が教えてくれるんですよね。
表紙にも使われたこの写真は、キリストが来たという伝説が残る青森県三戸郡新郷村で撮影したそうです
― 丹羽さんが星を好きになったきっかけや原体験はありますか?
僕は愛知県春日井市で生まれ育ったのですが、近くに名古屋市科学館があって、自称“名古屋市科学館育ち”というぐらい、小さい頃からその科学館に出入りしてたんですね。そこのプラネタリウムの星空が、僕の原体験かもしれません。きっとこの地球上のどこかにこんなに綺麗な星空が見える場所があるんだろうな、というところから、星の世界にぐっと引き込まれていきました。
― その後、大学で天文学を学び、天文学者への道を歩みはじめるのですよね。
はい。やっぱり空を知りたいと思うと、なかなか一般職は見つからず研究職になってしまうので、言うなれば1本道のようなところがあるのですが、運よくそこに乗っかることができました。
― 天文台の研究員だったときは、日々どんなことをしていたのですか?
望遠鏡で撮影したデータをコンピューターで画像処理したり、かつて同じような研究をしていた方の論文を読んだりなど、デスクワークが大半でした。過去の研究者たちが蓄積した膨大なデータを活用して研究することもあります。
カメラのレンズは、原体験になった名古屋市科学館のプラネタリウムの装置と同じドイツのツァイス社製のものを使っているそうです
― 研究員から学校の先生になろうと思ったのは、なぜですか?
研究員のときにイベントや講演会に招かれて学生や大人に話す機会が何度があったのですが、そのときに、伝えるって面白い仕事だな、と感じたんです。望遠鏡から得た最新のデータを使って研究するのももちろん楽しかったのですが、それ以上に、人に伝える、広げるというところに自分の興味が移っていることに気づきました。
色々考えた末に、先生というのがひとつの答えなのかなと思い、今の職に就きました。本の出版も、その延長線上にあるものなのかな、と自分では思ってます。
― 本のあとがきに「学校の授業で嫌気がさして“天文アレルギー”を発症してしまった人がいる」と書かれていたのが印象的でした。
そうですね。もしご記憶にあれば、中学校のときの理科の問題集を思い出していただきたいのですが、「これは何月何日の何時頃の空の様子を示したものである。方角はどこか」とか「月の満ち欠けを正しい順番に並べなさい」とか、そんな感じだったと思うんです。そこで難しいと感じて天文学に苦手意識を持ってしまったという人にたくさん会ってきたんですよ。
でも僕は、そんな理屈は抜きにして、ただ星空が綺麗だね、でいいんじゃないかなと思うんです。苦手になってしまった人たちに、もう一度星空の魅力を伝えたいと思っています。
― 改めて、本を出版することになった経緯を教えてください。
懇意にしている地元のカフェのマスターに誘われて個展を開いたことがあったのですが、その時にまとめた冊子を写真出版賞に応募したのがきっかけです。結果は奨励賞で、賞をいただけるということはこういう写真を喜んでくれる人がいるんだ、と思えたのは大きな収穫でした。
その後、出版社の方とお話しさせていただいて、やってみようかなと思いました。僕は割と何をやるにも石橋を叩いて渡るタイプの人間なのですが、いつもは重い腰が、なぜかそのときはふっと上がったんですよね。出版は、星空が苦手になってしまった人たちに再び星空の世界に戻ってきてもらうためのチャンスなのかな、と思ったから決心できたのだと思います。
― たしかに、本からもそのメッセージを感じました。“読むプラネタリウム”というキャッチコピーの通り、やさしいナレーションに導かれながら、脳より心を使って星空を知ることができるような内容だと感じました。
そうですね。その意味ではやはり、詩人の谷郁雄さんに寄稿していただいた詩が重要な位置を占めていると思います。堅くなりがちな解説の中にふっと詩が入ってくると、こんなに柔らかく読みやすくなるのだなと感じました。
谷郁雄さんの詩
― たしかに、お芝居の幕間のような心地の良さがありますね。
そうなんです。本の構成は、それこそもう本当に、編集者さんにかなり頭をひねっていただきました。僕が最初に本の構成を原稿にまとめたときは、研究集会に出すパワーポイントのように堅い雰囲気になってしまったんです。編集者さんに色々なアドバイスをいただいて、ストーリーを組み立て直していって、現在の形に落ち着きました。
― 編集の過程で、普通の写真集ではなく解説の入ったビジュアルガイドをつくろう、という提案があったと聞きました。最初にそれを聞いたとき、どう思いましたか?
最初は正直、びっくりしました。ポジティブな驚きとともに、一方では不安でした。これをどうやってビジュアルガイドという方向に持っていけるのだろうと。
そんなときに、編集者さんにプラネタリウムのような構成にするのはどうか、と言われて、科学館のプラネタリウムという自分の原体験が蘇ってきました。プラネタリウムは、日が沈むところからはじまり夜が明けて終わります。僕はそれを体で覚えて知っていたので、一気にイメージがわいて、それでいこう! と話が進みだしました。
― 本の制作過程で印象に残っていることや大変だったことはありますか?
素材としての写真はすでにあったのですが、そこに文章を加えて読みものにするという過程は本当に大変でした。それまで研究論文や定期試験などの文章しか書いてこなかったので、普段と全然違う脳の使い方をしないといけなかったんです。ライティング経験の長い編集者さんに「これで分かりますか?」と確かめたり不安を共有させてもらいながら進めました。
1冊でひとつの物語になっていますが、1ページだけぱっと開いて読んでも成立するように意識してつくっています。
― 詩以外の文章はすべて丹羽さんが書いたのですか?
はい。でも、本当に編集者さんと二人三脚で仕上げた部分がたくさんあるなと、振り返って思います。
『地球が廻っているということ』より
― 完成した本を見たとき、どんな気持ちになりましたか?
なんかもう本当に、感無量の一言でした。実際に手元にサンプルが届いたとき、出版する実感が改めて湧き上がってきました。上に掲げたりペラペラめくってみたり、本当に自分の書いた文章だということを確かめてみたりして。まさしく一生の宝物を手に入れた瞬間でした。
― 発売してからはどうですか?
会ったことのない人たちが僕の本を手に取るかもしれない、という、自分の与り知らぬところに自分が発信されていくのが、不思議な感覚でした。今もふとしたときに不思議な気分になります。世界が一方的に広がった、というか、自分の分身がそこら中を旅して勝手に僕の代わりに喋っているようなものなんですよね。
― 本の中にしっかり自分を凝縮できたからこそ、そう思えるのかもしれないですね。
そうですね。本を通して、こんな人間です、と伝えやすくなりました。自己紹介の大きなネタがひとつ増えたというか、本が名刺になりました。本は自分の分身であり、相棒なのかなとも思うんです。これから先、一緒にいるパートナー。「こいつ、隣にいるし」みたいな存在ですね。
― 周りの反応はどうでしたか?
大学時代の知り合いや前の職場の元上司など、僕を知っている人には、「お前が喋ってるみたい」「なんかずっとお前の声が聴こえてくるんだよね」とよく言われます。やっぱり、文章から何かがにじみ出ているのか、自分の何かがそこに乗っかって出ているのだな、というのを感じました。
― 私は丹羽さんとお話する前に本を読みましたが、それでも、人の声が聴こえてくる本だと思いました。声が聴こえるというのは、良い本の証のひとつですよね。学校の学生さんの反応はいかがでしたか?
僕のInstagramやXは学生たちにもフォローされているので、そこから本の出版を知った人も多いと思います。自分の研究室にも本を置いているので、たまに学生が立ち読みしにきたりもします。「これ本当に先生が書いたの?」「そうだよ。だいぶ苦労したよ」みたいなやりとりをしています。
『地球が廻っているということ』より
― 本屋さんで自分の本を見かけることはありますか?
はい。やっぱり、どこの本屋へ行っても自分の本のことがちょっと気になるんですよね。東京の丸善の本店、あのすごい蔵書数の店内に自分の本が並んでいるのを見たときは、改めて驚きと、本を出した実感が湧きました。
あと、星を撮っている著名な方と同じ本棚に自分の本があると、おこがましいですが、仲間入りした気分になれて嬉しくなります。
3冊置いてあったのが次に見たときに2冊に減っていたりすると、だれかのもとにあの星空が届いたんだな、と思ってワクワクします。
― だれかに届いたことをそんなふうにダイレクトに確認できるというのは、すごい体験ですね。
そうなんですよ。やっぱり実体のある本を出すって、こういうことなんですね。今は出版不況ということもあり、電子書籍の出版も考えたことがあるのですが、やっぱり紙の本を出すというのはすごく楽しいことなんだな、と思いました。
学校の教科書がいまだに紙である理由もそこなのかなと思ったりします。メモを書いたり折り目をつけたり、その人の記憶や思い出によって、本がその人のものになっていくんですよね。だから、僕の本も、手に取っていただいた方にさんざん読んでもらって、付箋や折り目をたくさんつけてもらえたら嬉しいなと思ってます。
― 出版を経てさまざまな変化があったと思いますが、改めて振り返るとどうですか?
僕は今42歳なのですが、正直、この年で新しい経験ができるとは思っていませんでした。一生のうちにどこかで…という淡い期待はあったのですが、まさか本を出版できるなんて思ってもいなかったので。ひとつの自信に繋がったと思います。
ありきたりな言葉ですが、何かをはじめるのに遅すぎるということはないんですよね。それを身をもって体験できたのは大きかったです。
― これからやってみたいと思っている表現はありますか?
もし叶うのならば、今度はテーマを絞って星の本をつくってみたいと思っています。たとえば「学校と星空」の組み合わせは、興味があるところです。学校は、日本では誰もが出入りしたことのある場所であり、自分が働いている場所でもあるので。
あともうひとつは、学校で習った物理、化学、生物などにつまずいて苦手になってしまった人たちにもう一度その魅力を伝えるようなものをつくりたいと思っています。
実は今、カメラに赤外線フィルターをつけて赤外線写真というのを撮っています。また、紫外線しか通さないフィルターをつけて紫外線写真を撮っています。
赤外線も紫外線も目には見えないですよね。そんなふうに、“目には見えないけどカメラには映るもの”を集めてみても面白いかなと思っています。カメラの助けを借りると、実は色々なものがこの世界に隠れたり潜んだりしていることが分かるんですよね。
星の写真も、目に見えないものを見せるという意味では同じです。そういう意味では、最初から今まで自分の興味はずっと変わっていないのだと思います。
赤外線フィルターをつけて撮影した赤外線写真
紫外線しか通さないフィルターをつけて撮影した紫外線写真(右)。普通の白黒写真(左)と比較すると花の中心部分が黒く映っていることが分かります
― 最後に、何か伝えたいことはありますか?
本を出したことが僕に与えた影響がもうひとつあるとすれば、何かを表現し続けよう、という気持ちになれたことです。自分の知的好奇心を満たして終わりではなく、他の人たちに見てもらえるように表現したい、と思うようになりました。誰かに共有する面白さというのは、本を書いたことで手に入った気がします。
― 本の出版をここまで経験の糧にされている丹羽さんの話を聞いて、写真出版賞を主催する立場として本当に嬉しくなりました。宇宙や地球の目に見えないものを、写真を通して見せてくれる丹羽さんの創作を、これからも楽しみにしています。
理学博士・八戸工業高等専門学校教員。1981年生まれ、愛知県春日井市出身。博士(理学)。 中学卒業後に豊田工業高等専門学校で電気工学を学ぶが、子どもの頃に魅了された星空が忘れられず、天文学の道を目指して神戸大学に進学。 博士号取得後は、兵庫県立西はりま天文台公園(現:兵庫県立大学西はりま天文台)の研究員を経て、現在は八戸工業高等専門学校で物理学を教えている。 星空の魅力を多くの人たちに伝えるべく、さまざまな場面で星のお話をする活動も行っている。 本格的に写真を撮り始めたのは2018年。 「自分にとっても見る人にとっても身近な星空が撮りたい」と考え、地上の風景と星空の両方をカメラに収める「星景写真」にたどり着く。 晴れ間が見えれば平日の真夜中でも夜空に飛び出し、ときどき寝不足になりつつも、夜な夜な方々を訪れては、カメラのシャッターを切っている。Instagram / X
タイトル:地球が廻っているということ
作者:丹羽 隆裕 / 谷 郁雄(詩)
価格:1650円(税込)
判型:A5判 96ページ ソフトカバー
発売日:2023年11月28日
出版社:みらいパブリッシング
ISBN:978-4-434-32889-3
購入:書店 / Amazon / Yahoo!ショップ